リサール切手集

大東亞戰爭期のリサール切手

日本軍政下の時代

東川吉嗣

  上に掲げた封筒は實逓便である。差出人、受取人共に「AFRAN STAMP COMPANY」といふ郵趣會社らしい名前なので、實際の通信用に使はれた物では無いが、日本軍の憲兵隊の檢閲印が捺されてゐるので、實際に投函されて配達された物であることが判る。封筒は「生産と貯藏」を呼び掛ける「二センタボ、付加金一センタボ。五センタボ、付加金一センタボ。十六センタボ、付加金二センタボ」の三種の切手の初日カバー用の物を使ひ、「1942年の日本占領下での五種類の■の發行物」といふ意味のスタンプを重ねて捺してゐる。■の部分は讀めない。この封筒に貼られた五枚の切手のうち、二センタボの「生産と貯藏」切手以外はアメリカ領時代の切手に墨で加刷してゐる。いづれも「PHILIPPINE ISLNDS」といつた部分を殘し、「アメリカ合衆國」を抹消してゐる。消印は昭和十七年十二月三十一日。「生産と貯藏」切手は同年の十一月十二日、大東亞戰爭一周年記念切手は、同年の十二月八日の發行である。切手部分は★擴大★して御覧下さい。
  上のリサール切手をここに示した。現物印面は、天地二十三ミリ、左右十九ミリである。天と地に「UNITED STATES OF AMERICA」「COMMONWEALTH OF THE PHILIPPINES」とあつたところを墨で抹消してゐるが、天の「CA」と地の「OF」が殘つてゐる。右に「POSTAGE」、左に「2CENTAVOS」、中央リサールの肖像左横に「JOSE RIZAL」「1861」「1896」とあるらしい。
  フィリピンはスペインに取つて替はつたアメリカの植民地となつてゐたが。日本軍が昭和十七年五月に米軍を驅逐することにより、昭和十八年、平成前四十六年に獨立したが、昭和二十年に米軍がフィリピンを奪還することで獨立は否定された。日本軍占領の當初は、米國が發行した既存の切手の上に重ね刷りをすることで、郵便の需要を満たした。この時に「アメリカ」を示す文字を抹消してゐる。


リサール切手集玄關
大東亞戰爭下獨立國時代のリサール切手
アメリカ植民地期のリサール切手
獨立以降現在に至るリサール切手  
この網上頁の經過
○平成二十九年四月十四日、電子飛脚の宛先を訂正。
○平成二十二年十二月三十一日、電子飛脚の宛先訂正。
○平成十五年十一月二十五日、携帯電話版を掲載。
○平成十二年八月二十二日、開設。
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著作權者    東川吉嗣(電子飛脚のソフトが立ち上がつたら、宛先から「ひらかな」を消して下さい。)  平成十二年、乃至平成二十九年
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