○西日暮里の景色と散歩
○その壹
天王寺境内の閻魔殿の圖の石碑 - 東日本旅鐵會社の日暮里驛南口を出てすぐの紅葉坂を登つた所にある、護國山天王寺。この寺の本堂横にある高さ七八尺の大きな板石の表には細い線で「閻魔殿の圖」が描かれてゐる。碑文によると、弘化元年に建てられた物といふから、百六十年ほど前のものである。石碑の表には中央上には如來像、その下に大きく古代支那の役人姿の閻魔王がゐて、左に書記官らしき者が帳簿を見せてゐる、左下には大きな丸い鏡があり、波に漂ふ荷船が映つてゐる。閻魔の前には生首を兩手に提げた鬼やら、柱に縛られた人、子鬼のやうな者など、人や鬼が何人も描かれてゐる。場景は古代支那の裁判の樣子を元にしてゐるかと推測する。圖の右には「撫明人圖間以意補天保癸卯晩冬七十六翁黙仙戯画并鐫」とある。但し「鐫」の旁の「隹」の下は「乃」である。意味は「明國の人が描いた圖を真似て、補ひ、天保の「みづのと」の卯年の冬の遅い頃に、七十六歳の「黙仙」といふ者が戯れに描いて彫つた。」といふこと。この石碑の裏には、「弘化元辰春 大野黙仙□建」とあるが、「□」の文字は「佻」か「作」のやうにみえるが、不詳。意味は「弘化元年といふ辰年の春に大野黙仙が建立した」とのことであらう。
さて、ここで、「弘化元年」といふ年を、手元にあつた昭和四十一年株式會社岩波書店發行の『日本史年表』の第二百十二ページを見ると、「弘化 12.2」と記して、この「甲辰」の年は十二月二日に弘化と改元された事を示してゐる。石碑の文字の「弘化元辰春」は「弘化元年の一二三月」のことであるから、七十六歳の大野黙仙といふ人が、卯年の暮れに彫刻し、辰年が明けて早々に建てた。それは弘化と年號が改まつた年の春のことである。ところが、株式會社岩波書店發行の『日本史年表』によれば、弘化元年は十二月二日からだといふ。同じ出版社の書籍を引き合ひに出してもあまり意味はないが、手元にある『広辭苑』でも弘化は十二月からと言ふ意味の表記である。さて、これら岩波の本の記述が正しいとして、この石碑は、弘化といふ年號が使はれてから「弘化元辰春 大野黙仙□建」が刻まれたことになる。推測であるが、この碑は、天保癸卯年の暮れに彫刻した物を、年の明けた天保甲辰年の始めに建立して、弘化と元號が改まつた後に、改めて碑の裏に建立時期を刻んだと考へうる。
石碑の表を冩眞に撮つたが、繪は讀めるほどには映らなかつたのが殘念。(平成十五年十一月二十四日)
○平成二十二年正月六日、水曜日、用があり、久しぶりに田端へ行く。用を濟ませたあと、赤紙仁王の東覺寺へ參拝。七福神巡りの參拝團體が何組もあるらしく、人で賑はつてゐる。寺の境内が斜めに削られて、寺の前の道が改修されて廣くなつゐる。仁王の石像には、全身に赤紙が貼られ、背中の邊りに少し石の地肌が見える程度。七福神巡りの二人連れに、青雲寺への道を訊かれ、一緒に歩いて、青雲寺へ行く。青雲寺でも參拝客が多く、朱印を捺して貰ふ客が長い行列を作つてゐる。一緒に來た二人と別れて、自分は、修性院へ先に行き、富士見坂を登つた。富士見坂から富士山方向を見る。諏訪神社へも參拝してから、西日暮里公園から、間之坂を下り、舎人線の西日暮里驛の改札を見に行き、山手線の西日暮里驛へ戻つた。舎人線改札への通路から山手線西日暮里驛方向を見る。舎人線改札への通路から北方向を見る。高架鐵道は京成線。舎人線改札への通路を見上げる。山手線西日暮里驛ホームから切り通しを見る。
●平成十七年九月、引越で、住み慣れた西日暮里から去りました。
○七月二十一日、木曜日。西日暮里驛前五丁目の十字路の路上自轉車置き場に、ここ何日も、新聞紙が捨ててある。朝早くには、自轉車の腰掛けの上に巻いてあるのを見掛けるので、自轉車を停めるときに、腰掛けを保護するために、新聞紙を巻き、自轉車に乘るときには、その場へ捨ててゆくらしい。その新聞紙は、在日中共國人向けの漢字新聞である。觀て、餘にも無様なので、路上の新聞紙を畳んで、眼の前の早稲田ゼミといふ受驗會社の建物の脇へ片づけてゐるが、さぞ、迷惑してゐるだらう。
日暮里界隈は在日外國人が多い。中でも、朝鮮半島の人と、支那大陸の人が多いので、二つのくにびとの比較をしながら觀察してゐる。半島の人に較べて大陸の人は、近所迷惑も考へずに、大聲で喋り、行儀作法も我々とは馴染みにくいやうである。アパートなどは、一度大陸の人に貸すと、部屋の中が、油でべとべとになり、日本人には貸せなくなるとも聞いたことがある。
外國人を受け入れる役所、アパートの家主、部屋を斡旋する不動産屋など、外國人と接する人達は、積極的に外國人を啓蒙する義務があらう。さうでないと、我が國の市民道徳が崩壊してしまふ。
○平成十七年四月十八日、月曜日、西日暮里驛前五丁目の十字路の舎人線橋脚工事で、橋桁が道路をまたいだ。
○平成十六年、秋、某日。西日暮里五丁目十字路の近くの建物の脇の植え込み。以前、銀行が這入つてゐた時は、草花を植えてゐたが、今は「早稲田ゼミナール」といふ看板を懸けて、小中學生向けの受驗準備會社が這入り、草を抜いて、白い玉石を敷き詰めた。銀行の頃は草花の手入れもして、建物の前の掃除もしてゐたが、その後に這入つた受驗準備會社は、建物の前の掃除はしないらしい。この建物の横の京成線の下の通用口の邊りはゴミの山である。この八月の末か九月の初めに、玉石の上に生へてきた草が抜かれて、玉石が顔をだした。白い玉石は雨で打たれて土埃をかぶり、土に埋もれつつある。
自分の推測だが、植え込みの草花を抜いて、玉石を敷くことに決めた人は、「草花は手入れが面倒だ。白い石を敷き詰めれば、手入れは要らない」と考へたのだらう。
玉石を敷いて、きれいに保つことは、一番手間のかかることである。神社の境内などの玉石は、人が踏んで、土にめり込むので、時々浚ひでかきならしてやる必要がある。人の踏まない所でも、雨風で土埃をかぶり、石は汚れてゆく。狭い所なら、手で一つずつ洗ひ清めることもする。大きなホテルのラウンジなどで、白い玉石を敷いた灰皿を見かけることがある。白い石の上の吸ひ殻は目立つし、白い石はヤニで汚れが目立ち易い。手入れに手間のかかる灰皿である。この灰皿がきれいに保たれていることは、このホテルが手間をかけて全體をきれいにしてゐることを示すのだらう。
○平成十五年十二月四日、木曜日、西日暮里驛前五丁目の十字路の地下鐵出口前に工事中の大看板が姿を表した。現在工事中の舎人日暮里の高架鉄道の支柱工事の説明看板。
○平成十五年十月十三日、體育の日の代休月曜。西日暮里驛前五丁目の大通りの電柱や壁に貼られてゐるビラが、こまめに、しかし見目惡しく半分はがしてある。この手のビラは夜中か早朝に貼るのだらうが、今朝の早朝にでもはがして歩いたのか。以前は、これをはがして、道路へ散らかしてゐたが、今朝は一二枚、路上にあつたのみ。ビラの内容はともかく、貼り付けてあれば、それは一種の情報であるが、はがして讀めなくすれば、紙屑のへばりついたものに過ぎない。これをはがした人は、まづ、そこに書かれた内容が氣にいらないらしい。以前は、はがした紙を路上に捨ててゐたが、それはまづいと考へたらしい。ビラの内容が讀める状態よりも、紙屑がへばりついてゐる景觀のはうが、まだましだと判斷したらしい。
ここから先はまつたくの推測であるが、朝早く、町内を見回つて、氣に入らない内容のビラを、内容を讀めないやうに、心を砕いて、破り歩く「正義の味方のをぢさん」がゐるのである。
○平成十五年九月十三日、十四年十一月四日に「地下鐵西日暮里驛の入口にある案内板に落書き。わざわざ吹き付け塗料で汚してある。不愉快。」と書いたが、このほど、綺麗な物に改められました。
○平成十五年七月十六日、西日暮里驛前五丁目十字路の電柱にタバコの吸ひ殻入れの空き缶がくくりつけられてゐる。中を見ると、吸ひ殻の外に、紙屑を丸めたものなども押し込んである。ごみは散らかしたくないが、ごみ箱のあるところまで持ち歸りたくはない、といふ心がよく判る。「ごみは散らかしたくない」といふ、その心や良し。紙屑も、要らなくなつた小物も、そんなに重い物でも、汚い物でも無い。それでも、「要らない」と思ふた時から、それは「重くて、汚くて、鞄や物容れに容れるに値しない、厄介な物」となる。そこで、吸ひ殻容れとは知りながら、こんな紙屑を押し込んだらもう滿杯になり、吸ひ殻は這入らなくなるとも知りながら、押し込むのである。道に散らかすより良いだらう。そんな氣持がよく判る。
○平成十四年十二月九日、月曜日、この冬初めての雪。朝、六時現在で一センチ位の雪。
○平成十四年十一月二十一日、木曜日、郵便受けに「怪文書」の投げ込みあり。「怪文書」といふのは、宛先はあつても差出人が無いので。内容は、尾久橋通りを日暮里まで新しく建設される「日暮里舎人線」の工事についての住民向け説明會とのことで、「工事説明會開催のお知らせ」と題してある。文面から見て、差出人は鐵道建設の發注者の東京都か、あるいは工事を行ふ業者か、その兩者かと推測できるが、不明。
怪文書とはいへ、何かの御參考になるかも知れないので、文面の要旨を紹介します。「日暮里・舎人線の工事説明會の案内」
○平成十四年十一月四日、月曜日、朝、西日暮里驛前五丁目十字路の舊池袋信用組合の建物、かねて、内装工事をして、机などを設置してゐたが、看板や垂れ幕が着けられて、樣相を一變した。中高校への進學準備會社らしい。やはり建物は空き家よりも中に事業所などがある方が、見た感じが落ち着く。
地下鐵西日暮里驛の入口にある案内板に落書き。わざわざ吹き付け塗料で汚してある。不愉快。
○平成十四年七月五日、金曜日、朝、西日暮里驛前五丁目十字路の植え込みに生えてゐる、葉の大きい草の名を第六日暮里小學校の先生にヘはる。「ヨウシュヤマゴボウ」とのこと。「洋種」の「山牛蒡」で、外來種を思はせる名。秋には實が成り、染め物に使ふとのこと。此の植え込みは、草の丈が大きくなると「雜草」として抜き捨てる人がゐるので、ヘ材に使ふなら、今の内に移植したはうが良いと、勧める。
この植え込み。時々、草を抜き捨てる人あり。その抜き捨ててある草を見ると、昔の畑では「雜草」といはれた草。多分、農家の育ちの人が、これは無駄な草だとみなして抜くのだらう。
○平成十四年六月二十三日、日曜日。西日暮里驛前五丁目十字路の舊池袋信用組合の建物。池信は經營が行き詰まり去る十七日に廢業した。この建物の屋上にある廣告搭の「池信」の大きな文字、道路に張り出した看板の文字、玄關の上の壁の横書きの文字は、十七日の早朝、削り取る作業をしてゐた。それから一週間、文字の跡が壁に染み込んだやうに殘つて見える。文字のあつたところは塗料が剥げ殘り、あるいは壁と文字の隙間に埃が溜まり、膨らんでゐるはづだが、染み込んでゐると感じる。
十字路の植え込みの上にてふが一匹。
○平成十四年六月五日、水曜日、西日暮里驛前切り通し道の五丁目交差點の植え込みにドクダミの白い花が咲いてゐます。これは心安まる話。この日の朝、自轉車置き場の自轉車のタイヤの空氣入れ口を抜き取り捨てる悪戯、多發。これは心傷む話。
讀み終えた新聞紙や雜誌、パンフレットやビラ、飲み終えた空き缶やペットボトルなどは、大切な資源です。捨てずに汚さず持ち歸り、資源回収に出しませう。綺麗な街、豐かな心、豐かな資源。
紀元節を祝ひませう。一日も早く占領憲法の無効宣言をして、眞の獨立を。 と 算 布 六 日 日 明 西 明 た に め ひ と 日 二 定 し 告 年 と 神 治 歐 治 の 納 來 こ 言 └┘ 月 め て し に 被 武 五 諸 政 が め た の は 由 十 た ┐ ` ┐ 定 天 年 國 府 ` ` り み れ 來 一 ° 二 明 紀 └ 皇 十 の は 睦 橿 ` こ る 日 現 月 治 元 と 御 一 建 近 月 原 大 と ┐ - ・ 在 十 七 節 布 即 月 國 代 二 の 和 └ か 紀 の 一 年 └ 告 位 に 記 國 十 宮 國 が む 後 元 ┐ 日 ` と し 相 ┐ 念 家 九 に 邊 ` や に 節 建 └ 太 稱 た 當 第 日 建 日 政 り 西 ま ┐ ┌┐ 國 を 陽 す が に 一 に 設 と 府 を 國 と 神 建 記 紀 暦 る ` つ 月 倣 に の を 支 か い 武 國 念 元 に む 明 き 廿 ひ 當 こ 置 配 ら は 天 記 の 節 換 ね 治 祝 九 ` り と い 下 攻 れ 皇 念 ` ° └ 念 て び 際 が て 在 な な る 忘 記 捕 國 一 家 日 の ゐ て 場 定 受 す 古 國 の れ 念 ら 家 日 の └ 日 た 行 裏 め け る い に は さ を へ 建 に や は が 時 け で ら 容 こ 安 例 ` せ 梃 て 設 し う こ 定 代 る 近 れ れ と 定 が 歴 な 子 記 事 て な れ め で か 代 た ら は し 多 史 い に 念 業 な 巨 を ら あ 否 國 の れ 當 た い の 仕 國 の の る 大 繼 れ つ か 家 は て り 國 ° 淺 組 家 時 何 物 な ぐ た た の と ` ゐ 前 で 我 い み 建 日 ら で 組 も の し 危 し 我 る の は が 國 を 設 と か は 織 の は ` 機 て が ° こ ` 國 ` 必 の し の な の ° ` 建 に 生 國 紀 と 國 の 不 要 印 ` 節 い 誕 近 我 國 面 き が 元 と が や 安 と 象 そ 目 が 生 代 が 記 し 延 國 節 し 存 う 定 す を の を ` は 國 に れ 既 後 民 國 ` た 成 の 族 が そ 時 事 米 精 敗 の 代 實 軍 神 戰 時 で 化 駐 が に 代 あ と 留 破 よ は つ 永 に 壞 る 今 た 續 よ さ 占 も ° 化 り れ 領 續 遺 が 占 ` 政 い 憾 確 領 占 策 て な か 政 領 を ゐ こ め 策 終 受 る と ら の 了 け ° ` ☆この文章は「今日といふ日」から轉載したものです。著作權者 坊垣河原雲陳 平成十六年 CopyRight © 2004 Bonngaikawara Unntinn ◎占領下で作られた憲法に就いて、法律の專門家の立場から、素人に判りやすく解説したページがあります。是非とも、一讀されることをお勧めします。それは、南出喜久治さんの現行憲法無効宣言問答集です。
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